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仙台家庭裁判所 昭和54年(家)1718号 審判

申立人 山口カネ

主文

仙台市○○×丁目×××番地墳墓地四九平方メートルの承継者を本籍地宮城県仙台市○○×丁目×番地、住所本籍に同じ岡田義則と共同して申立人と定める。

理由

申立人は、被相続人山口源吉所有名義の仙台市○○×丁目×××番墳墓地四九平方メートル(持分二分の一)の承継者として申立人を指定する旨の審判を求めたので、考えるに、

本件記録添付の不動産登記簿謄本並びに申立人審問の結果及び当庁昭和五四年(家)第一七一九号事件記録中の申立人岡田義則審問の結果によれば、主文記載の墓地(以下本件墓地という)は、宮城県名取郡○○村○○、山口源吉が岡田忠太郎と共同して所有し、申立人の亡夫山口俊助の祖先で山口家から分れ出た人々が岡田義則ら岡田家の祖先と共に埋葬されている墓地であることが認められる。

そこで山口源吉について相続が開始したか否か、すなわち同人の死亡について検討するに、本件記録添付の戸籍謄本、仙台市長の山口源吉の除籍についての回答書を総合すれば、山口源吉は、申立人の亡夫山口俊助の曽祖父山口忠吉の戸籍に附籍されている山口清太(安政三年西暦一八五六年一〇月一日生)の父であり、右清太の生年月日よりして、同人が現在生存するとすれば少くとも右清太の満年齢一二四歳を超える高齢に達しているものであること並びに同人の戸籍は除籍されて、除籍は戸籍法施行規則の定により廃棄されて存在しないことが認められるので、右事実に、昭和五四年国勢調査の結果(朝日新聞社編集、発行、朝日年鑑一九七九年版別巻名簿統計資料編)による昭和五四年一月一日現在の生存男子の最高年齢が満一一三歳であるという事実を併せ考えると、山口源吉は、昭和五四年一月一日現在において生存している可能性が全くないもの、すなわち死亡しているものと考えるのが相当である。もつとも、死亡の時期は不明であるが、墳墓の承継者指定を求める本件に関する限り、死亡の時期の確定は必要でない。

そこで、つぎに本件墓地の承継者として誰が適当かを考えるに、本件墓地の所在する仙台市において、祖先の祭祀を主宰すべき者についての慣習は明らかでない。そして、本件申立書添付の相続関係説明図各戸籍謄本、○○○町内会長の証明書、申立人審問の結果並びに前掲第一七一九号事件記録中の申立人岡田義則審問の結果によれば、申立人と山口源吉の身分関係は、前示認定のとおり申立人の亡夫の曽祖父忠吉、その父源右衛門と縁ある山口家一族の祖先であり、本件墓地には同人、その子清太、清太の妻らしい人らが前示岡田家の祖先と共に埋葬され、山口家では代々本件墓地を山口、岡田両家の墓として祭祀を行い管理してきたこと、申立人は、山口俊助と婚姻した当初より俊助の父和助に従つて墓参、管理し、俊助が戦死し、和助亡き後は山口家の中心となつて墓参、管理を続けていること、忠吉の子孫(源吉には長男清太、長女さよの他に相続人がなく、両名の死亡によつて大正一五年七月三日絶家されている)で本件墓地へ墓参するものは申立人のほかにはいないことが認められ、以上の事実から考えると、本件基地は、岡田家の祭祀承継者と共同して申立人において承継するのが相当である。

もつとも、墳墓の所有権の承継者を共同して指定することは許されないのではないかとの疑問もあるが、当裁判所は、一般に系譜、祭具および墳墓の所有権の承継者は一人に限られるべきであろうが、本件の如き特別の事情のある場合にはこれを共同して承継するものとして指定することは差し支えないと解する。

よつて、主文のとおり審判する。

(家事審判官 井野場明子)

〔参考〕 仙台家 昭五四(家)一七一九号 昭五四・一二・二五審判

申立人 岡田義則

主文

仙台市○○×丁目×××番地墳墓地四九平方メートルの承継者を本籍地宮城県仙台市○○×丁目×××番地の×、住所仙台市○○×丁目×番××号山口カネと共同して申立人と定める。

理由

申立人は、被相続人岡田忠太郎所有(持分二分の一)の墳墓地の承継者を申立人と定める旨の審判を求めたので、考えるに、

本件記録添付の不動産登記簿謄本並びに申立人審問の結果及び当庁昭和五四年(家)第一七一八号事件記録中の申立人山口カネ審問の結果によれば、主文記載の墓地(以下本件墓地という)は、宮城県名取郡○○村○○、山口源吉、岡田忠太郎の所有であり、申立人の先祖並びに山口カネの夫亡山口俊助の先祖の墓所であることが認められる。

そこで、岡田忠太郎について相続が開始したか否か、すなわち同人の死亡について検討するに、本件記録添付の戸籍謄本、申立人の申述書、申立人審問の結果並びに前掲事件記録中の戸主山口清太の除籍謄本を総合すれば岡田忠太郎は、申立人ら岡田家一族の間では申立人の祖父岡田元治(明治四年一月三日生)の曽祖父であるとされており、その孫に当るとされる岡田勇吉(天保「西暦一八四三年」一四年八月一五日生)でさえ現在生存するとすれば満一三六歳であつて、少くとも右勇吉の年齢を上廻る高齢に達しているものであること、同人の戸籍関係を追求することが極めて困難であることが認められ、右事実に、昭和五四年国勢調査の結果による五四年一月一日現在の生存男子の最高年齢は満一一三歳であるという事実を併せ考えると、岡田忠太郎は昭和五四年一月一日現在において、生存している可能性が全くないもの、すなわち死亡しているものと考えるのが相当である。もつとも、死亡の時期は不明であるが、墳墓の承継者指定を求める本件に関する限り死亡の時期の確定は必要でない。

そこでつぎに、本件墓地の承継者として誰が適当であるかについて考えるに、本件墓地の所在する仙台市において、祖先の祭祀を主宰すべき者についての慣習は明らかでない。そして、本件申立書添付の相続関係説明図、各戸籍謄本、申立人審問の結果並びに前掲事件記録中の各戸籍謄本、申立人山口カネ審問の結果によれば、岡田忠太郎と申立人の身分関係は前示認定のとおりであり、岡田忠太郎の孫元治は山口源吉の長男清太とは親戚筋に当り同居してその死亡届をなした関係にあつて本件墓地には岡田家の祖先が埋葬されるとともに山口カネら山口家から分れた源吉らが埋葬され「岡田、山口両家の墓」として代々主宰管理されてきたこと、申立人は祖父元治の生前に本件基地に埋葬されている岡田家の先祖について聞き数年前より調査、墓参を始めるとともに、山口カネに山口家の墓地と共にその管理方を依頼していること、申立人以外に忠太郎の子孫らで本件墓地へ墓参するものはないことが認められ、以上の事実から考えれば、本件墓地は山口家の祭祀承継者と共同して、申立人において承継するのが相当である。

ただかくの如く墳墓の所有権の承続者を共同して指定することは許されないのではないかとの疑問が存する。しかし当裁判所は、一般には系譜、祭具および墳墓の所有権の承継者は一人に限られるべきであろうが、本件の如き特別の事情がある場合には祭祀財産を共同して所有権の承継者を指定することも差し支えないと解する。

よつて、主文のとおり審判する。

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